いこうかい since1998(広島市)

いこうかいは広島市で活動する精神障害者を対象としたワークサポートグループです。

第284回の報告


第284回の報告(参加者10名)

 日本の近代精神医療の礎を築いた呉秀三先生は、著書の中で、「わが邦十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸の他に、この邦に生まれたるの不幸を重ぬるものと言うべし」と述べています。わが国の精神医療に患者の人権を守るという権利擁護の考えが定着するには長い時間と歴史を要しています。今回は、そんな過酷な精神医療の現場を生き延びてきたサバイバーの方の人生相談でした。

 

◆Sさん、71歳。介護福祉士

 原爆養護老人ホームに障害者枠で就職して勤続9年になる。途中、脊椎管狭窄症などで2回手術し、その時は有給休暇+健康保険の傷病手当でしのいだ。理解のある職場で、腰痛を考慮して、現在は、身体介助と排泄介助は免除してくれている。定年制はなく、介護福祉士を持っていることもあり、仕事ができる限りはやってくれと言われている。

 

 妻がすい臓がんで、肺に転移して6か所切って退院した。妻が生きている間は元気で働きたい。でも、妻にもしものことがあったら、自分は気力も何もかも失うのではないかと不安に思っている。そこで、新たに自分を奮い起こす何かが必要で、妻亡き後は、NGONPOで働きたいと思う。与えられた命、自分から放棄したくない。外国人留学生や技能実習生、難民、あるいは精神障害者を支援するNGONPOで、人の役に立つ仕事をしたい。そういう情報があったら教えてほしい。

 

スマホで検索して、自分の希望に合うところがあるかどうか、探していくのがいいと思う。

 

・すごく理解のある職場のようなので、そこは辞めずに続けた方がいいと思う。

 

 

◆発病して52年。薬以外のココロの治療をしてもらったことがない。病気の勢いが強かったころは、精神病院はひどい待遇で、(看護師ではなく)看護人に手荒い扱いを受けたこともあった。あまりにひどい待遇に、患者同士で決起して待遇改善を求めたこともあった。出禁になった病院もある。ある病院では、院長に逆らったがために、毎日のように連続で電気ショックをされたこともあった。そうした日本の精神医療の負の歴史を生き延びてきた今、思うこと。

 

 病気を認めていない人が多い。すなわち病気と闘っている人が多い。自分は、病気と闘うのではなく、自分と闘う、自分に負けないようにしている。自分の中にあるずるさ、弱さ、責任を人になすりつけるところ、そんな自分に負けずに、できるだけ善でありたいと思っている。そうして、自分の病気を自分で癒している。それと、何よりも大切だと思える愛する相手を見つけることが大切だと思う。

 

 いつも考えているのは、幸せになるにはどうしたらいいか、ということ。人生のシュミレーションをするといい。

 

・「愛する相手を見つける」って、見つかればいいと思うけど、難易度高いよね。

 

◆壮絶な体験談。聴いてて、とても感慨深い時間でした。